• 教材や実験の開発情報

<月刊 化学』の巻頭エッセイ>

『カガクへの視点:「リアル」を再考する科学教育』

若者の間に「リアジュー」なる言葉があることを最近になって知った。リアル(現実)がジュウジツ(充実)、つまり現実が幸せであることを羨む表現らしく、例えば「○○君、進学先が決まってリアジューだよなあ。」という使い方になるのだそうだ。ゲームやスマホなど、仮想空間にどっぷり浸かりながらも、やっぱりリアルを充実させたいという、何やら憐れみ覚える表現ではある。

さて、昭和を舞台にした、とある有名なファンタジーアニメを観る機会があり、主人公姉妹がおばあちゃんと畑でトウモロコシを生のままでおいしそうにかじるというワンシーンが印象に残った。確かに学校帰りに親類の畑で頂戴した野菜や果物は、そのままでも実に甘く歯ごたえがあったという記憶がよみがえってきたのである。ところが、後ほど農業生産者に聞くと、露地物の完熟は美味だが、昨今のスーパーに並ぶ野菜も品種改良を経ているので、味は良くなっているかもしれないと言う。おそらくは、たわわに実る本物をもぎ取って食すという、リアルで心地よい体験が記憶として刻まれていたからなのだろう。自分の経験は、あくまで個人的な感覚体験であって、科学的にはフェアな判断ではないものだ。しかし、そういったリアルな感覚を養う機会を、「間違った体験」として排除して考えて良いものだろうか。

私は、20数年、高等学校で化学の指導に関わっているが、教員に採用された時すでに、生徒の「科学離れ」が問題視されていた。これまで、様々な教育制度改革へ経て、変革の試みがなされてきたはずであるが、どうも科学教育を巡る情勢が好転しているようには思えない。特に、実験指導については、懇切丁寧は良いが、思考を要する手間や作業を排除し、お膳立ての整った教材が増えたように感じられる。生徒の実験への取組に、今ひとつノリが感じられないとすれば、生活感覚や手応えが少なく、教材にリアルが感じられないからではないだろうか。例えば、中和滴定の実験指導で、リアル感を持たせるために、生野菜に含まれる色素を抽出させて指示薬として用いてもさして問題はない。しかし、植物色素を抽出したものでは余分な物質も含まれるから、教材としては、やはりピュアで適切な指示薬を用い、まさしく「適切な滴定をすべし」という判断が働いてしまう。確かに原理原則、理論的に確立された厳選教材で体系化は整うが、無味乾燥な素材ばかりの題材しか残らない傾向が強まってしまう。このように体系化された科学教育に、もう少し一般化したリアル感を構築することはできないものであろうか。一教育現場からではあるが、カガク教育を再考する必要性を感じるのである。

かくして現任校では、日々、実験授業における「リアジュー」を目指すべく、生活感を意識した手応えのある実験教材の開発に取り組んでいる。そう言えば、そろそろ本校ゆかりの万葉の花『紅花』栽培の時期となった。種まきから始め、開花後に花びらを摘み、古代より伝わる方法でハンカチの紅花染めを行うのである。もちろん生徒には、役割や段取りを決めながら作業に取り組んでもらい、お膳だてを排した不親切なる実験指導を心がけている次第である。手間はかかるが、リアル感は存分に体験できるはずである。


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