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次の内容は、教科書『中学校学習指導要領解説 理科編』の第1章 総 説 〇1 改訂の経緯及び基本方針「改訂の経緯」に関するものです。特に『日本の衰退と理科教育』という観点からいくつか疑問形で抜き出しています。これらを読んだのち、設問に答えなさい。

1.改訂の経緯及び基本方針

(1)改訂の経緯:厳しい挑戦の時代に突入…

①生産年齢人口減少:就労人口が大幅減少することで産業が衰退し、税収の低下によって国家サービスが行き届かないようになるのではないか…

②グローバル化が進行し国際ルールが浸透、日本のこれまでのやり方を国際常識に合わせていく必要性が高まっていくのではないか…

③社会構造の変化:少子化が進行し、学校・家庭・地域社会が大きく変化し、教育力が低下していくのではないか…

④雇用環境:ひとつの組織に一生勤めたり、その中で安定した年功序列が当たり前の社会が大きく変化していくのではないか…

⑤技術革新:これまで全世界で圧倒的な技術力を誇っていた日本は窮地に立たされていくのではないか…

⑥国際情勢:国家としての成長力・競争力が失われ、日本の国際的な地位が低下していくのではないか…


◇設 問『日本の衰退と理科教育』

日本の経済力(GDP)は、90年代には全世界約200カ国中トップのアメリカに迫る2位であったが、2000年代に入って急減速した。特に、その成長率は、何と一時期150位以下にまで転落するという世界史上例のない衰退ぶりである。この原因として、理科教育の衰退も大きく影響したのではないかという意見がある。こういった意見について、改訂の経緯の①~⑥の各点を踏まえ、自分の考えを300字程度で述べなさい。なお、例1・2を参考にし、ぶっきらぼうで批判的な書き方や自分の体験を含めてもかまわない。「自分の考え」を述べなさい。

例1:学校教育における理科教育への国民の関心が薄れ、その重要性が理解されなくなったからではないか。理科は教材を準備したり活用するのに時間や予算、指導スキルも求められる。リスクもあるし、教員の負担も大変なので、どこかを切り捨てなければということで、結局は実験や動植物を育てるとか自然に触れる機会が減ってしまうということにつながった。それにともなって、理科予算もどんどん減らされいく。いわゆる文系暗記科目の方が、簡単で安上がりだし、勉強する側にもウケが良い。そういえば、教員志望の人には、理科が苦手な人が多いという印象が強い。結果として、科学技術が低下、生産力も失われて日本全体の成長が止まってしまったのではないか。そもそも、こんな状況で理科好きな子どもが育つと考える方がおかしい。(336文字)

例2:成長著しいアジアや北欧諸国の理系大学進学率は極めて高く(日本は急速に低下し現在約20%)、その社会的な評価も高い (中国の官僚は99%が理系大学出身者とも言われる) 。科学教育を大切にすることが国家を豊かにし、社会を安定させることにつながるという共通認識を育てているからではないか。また、日本は一時期に経済的に豊かになり過ぎて、地味な技術や生産に感心を持たなくなった面もある。生産を海外に頼り、かっこよさげで手っ取り早くお金儲かりそうな英語や経済の方面に向かう方が良いと考える人が増え、マスコミや学校の進路指導、親の希望もそういう傾向が強まった気がする。結果として、基本的な技術からハイテク分野での競争力が失われることになったのではないか。(313文字)


◇遠隔授業としての指示:設問に対する回答をこの下のコメント欄に直接記入しなさい。出席確認機能も兼ねているので、各授業時間内に考えをまとめて回答すること。最初に「担当者にゼッタイにわかるであろうニックネイム」を記載のこと。→ 授業終了までに記入事項を開示します。受信確認と出席認定。


コメント一覧

返信2021年9月28日 5:59 PM

匿名24/

吉好 我が子を難関校に入学させれば出世ができるという「学歴至上主義」や「偏差値至上主義」の考え方が、重要視されているためではないか。実際の割合は分からないが、私の周りやその下の学年の子供たちの多くは昔に比べて進学塾に通っている割合が高くなっている。これは少子化など様々な要因で日本の未来に不安を感じている親たちがせめて子供だけは出世させて安泰な暮らしを手に入れてほしいという願いの表れのように感じる。  しかし、進学塾で理科を学ぶといっても知識として学ぶだけであって実験などは行わない。このように、知識を詰め込むだけでは考える力は全く培われないため、理科が苦手な人や、理科に興味を示さないという人が増えてしまった。結果として、国民の理科教育への関心が薄れ、衰退していったのではないかと考える。(341文字)

返信2021年9月28日 5:55 PM

匿名24/

半額弁当: 理科は現在社会で求められている予測力や課題解決力の育成に長けている科目の1つであるにも関わらず、これまで重要視されてこなかった。論理的に意見を組み立てる作業の行なわれる機会が失われていく中で、社会の上位者の多くは様々な事象に対して比較し、論理的に考えることをせず、自らの利益にばかり向かっていた。そのことに論理的思考を持ち合わせない有権者の多くが気づかぬうちにのせられていたのではないか。自分たちにとって都合の良い国民を製造する、教育を利用した政治誘導の1つだったのではないかと考えられる。現在、理科教育に焦点があてられている理由は低すぎる国の成長率の改善のためであろう。社会の上位者の利益ではなく、真に国民が豊かになるためのコンピテンシーの育成が大切であると考える。(333字)

返信2021年9月28日 5:52 PM

匿名24/

Sugi 理科教育から実験が削減されることで、実験を通して得ていた気づきや発想の転換の体験が制限され、科学技術への興味を持つ機会が縮小されてしまったのではないかと考える。なぜなら、カイロのように理科教育で学ぶ化学反応を利用した製品もあることから、理科教育と産業、科学技術の繋がりは深いと考えたからだ。また、前期に行った音が出る実験では、動画で見るのと実際に聞くのとでは音の大きさや迫力が異なり、実験を通じた体験は大切であると改めて感じた。以上より、理科教育は生活の中で役立つこと、気をつけなければならないことを体験する機会になっていると考え、理科教育の衰退は、科学技術に対する興味が乏しくなることを意味し、産業を支える科学技術への関心低下を招き、誇っていた技術力の維持を難しくしていると考える。(342文字)

返信2021年9月28日 5:47 PM

匿名24/

yamag  学校教育において理科に関する専門的な知識を持つ教員が少ないため、実験を行う機会が少なく、子どもが理科を楽しいと感じたり、興味をもって積極的に学ぼうと思わなくなっていることが原因であると考える。理科の実験は教員に正しい知識とスキルが必要である。そのため、教育の現場に知識とスキルを持った教員がいなければ理科の授業で子どもは理科の授業で実験せずに教員の説明や実験の映像を見て学ぶことになる。実験を行うよりも知識やスキルが必要なく、安全性に注意する必要も事前に準備をする必要もない方法で授業を行う教員が増加しているのではないだろうか。そのような授業で子どもが理科の面白さに気付くことは難しいと考える。また、社会の変化や技術の革新にも原因であると考える。社会が変化していることで、昔に比べて子どもが遊ぶ場所が減少していたり、技術革新によって子どもが家の中でゲームやスマートフォンなどを使って遊ぶようになったと考える。外で遊ぶ機会が減少したことによって自然と触れ合う機会が減り、自然に興味を持たなくなり、その結果理科という科目に対する興味や関心も減少し、理科教育の衰退の原因になったと考える。

返信2021年9月28日 5:46 PM

匿名24/

73 理科教育では他の教科ではあまり出来無い実験がある。そこには他人との共同作業を行う力、手順通りに効率よく物事を行う力、失敗したときに考察する力が養える。しかし、近年では金銭問題や適当な指示が出来る指導者の減少から、実験を行わず教科書の文章と図で済ませてしまうこともある。そのため、先述した力は育たず、国際ルールに合わせられない、少子高齢化によってただでさえ少ない働き手が効率よく働くことが出来無い、物事に対して臨機応変に対応できないなどの問題が発生するのではないか。また、理科教育は国の技術力にも関わっていると思う。数学はもちろんのこと、化学や物理学、生物学は欠かせない。しかし、子どもの頃に理科教育に楽しみを感じず、むしろ苦手意識を持ったものが将来積極的に使っていくとは考えにくい。年功序列も浸透する中で技術力も競争意識もなくなった生き物は衰退する一方である。

返信2021年9月28日 5:46 PM

イシちひ24/

理科教育の衰退と深く関係しているのは社会構造の変化にあると考える。少子化に伴い兄弟のいない子ども、またアパートやマンション暮らしの核家族が増加していることでペットを飼うことができないかったり、ゲーム機器、インターネットが発展したりしたことで全体的に動植物や昆虫といった自然に触れる機会が減ってしまったのだと考える。動植物や昆虫に触れるということは直接的に理科という科目への興味に繋がり、そこから様々な方向へ分岐して発展させることができると考える。こういった子どもの自発的な活動を無くしてしまっているのが現在の教育の現状であり、子どもが外で遊びたいと自ら進んで活動できる子どもが未来の日本を支える本来のあるべき姿であると考える。

返信2021年9月28日 5:45 PM

匿名24/

レーヨン 私は国民が理科に対する興味が薄れていったことにあると思う。高校時代に小学生に対して行った実験教室においても、大学における授業においても、理科という教科は事前準備など他の教科よりも負担が大きいということを身をもって体験してきた。そうすると教師はただでさえ負担が大きいため理科を重要視する教師は減ってくる。結果として理科に興味を示す生徒が減り、理科を重要視しなくなる。また、テストにおいて理系科目よりも文系科目の方が点が取りやすい傾向にある。そうすると、理系科目よりも文系科目を中心にする学校が増え、生徒の理科に対する興味が薄れていくと考える。こうした、科学技術技術を伸ばすことよりもグローバル化に重点を置いたため、理科教育は衰退して、技術革新に追いつけなくなったと言えるだろう。

返信2021年9月28日 5:43 PM

匿名24/

現代の日本を眺めたとき、ネットの力に頼った生活による思考力低下や負債が膨大なものになってしまったことや政界の意向から理科教育に対する関心や意欲がなくなり、そして資金や援助などがあまりされない。このような背景があるため学校教育や社会で理科離れが多くなったと感じる。理科は主要五教科と呼ばれている教科の中でとにかくコストがかかる。そしてコスト削減なされている今、実践や観察などが主な活動になる理科のこのような活動の機会が減った。戦争の勝利も経済発展も背景には理科というものがあった。だが、現代の日本は、他国が理科という基盤があったもと様々な技術が発展し、教育の現場での理系の学校への進学率が多いという現状に対し、真逆に近い方向に進んでいると感じる。そのため、日本の経済の形は衰退し、他国から技術で離されていく気がする。日本の技術の衰退の根底は現代教育の理科離れにあるのではないか。

返信2021年9月28日 5:40 PM

匿名24/

アイバ―  理科教育の衰退は、科学技術力の発展によって本国が豊かになったという認識が薄らいだことが原因であると考える。理工系拡充によって発展した技術により高度経済成長を遂げたわけであるが、十分便利になった今日の社会では、もはやさらなる発展は熱望されず、科学技術は「発展させよう」という認識から「もともとあったもの」という認識に変わり、その恩恵や成果も忘れ去られてしまっているのではないだろうか。そのため、理科教育の比重は下がり、また理工系人材への不遇が生じているのだろう。そこで、国民の科学リテラシーを高めるとともに、子どもに科学技術が生活の中に使われていることを実感させるような理科教育が求められると考える。(299文字)

返信2021年9月28日 5:40 PM

匿名24/

73 理科教育では他の教科ではあまり出来無い実験がある。そこには他人との共同作業を行う力、手順通りに効率よく物事を行う力、失敗したときに考察する力が養える。しかし、近年では金銭問題や適当な指示が出来る指導者の減少から、実験を行わず教科書の文章と図で済ませてしまうこともある。そのため、先述した力は育たず、国際ルールに合わせられない、少子高齢化でただでさえ少ない働き手が効率よく働くことが出来無い、物事に対して臨機応変に対応できないなどの問題が発生するのではないか。また、理科教育は国の技術力にも関わっていると思う。数学はもちろんのこと、化学や物理学、生物学は欠かせない。しかし、子どもの頃に理科教育に楽しみを感じず、むしろ苦手意識を持ったものが将来積極的に使っていくとは考えにくい。年功序列も浸透する中で技術力も競争意識もなくなった生き物は衰退する一方である。

返信2021年9月28日 5:38 PM

匿名24/

SUGA 人口の減少においては先進国を行く日本としては仕方のないことであると思う。そして現代の子供たちは勉強できる環境が物心つく前から備わっており何のために勉強しているのかわからない、興味はないがやらされているというような子供たちが多いように感じる。人口がどんどん減っていく中でどのようにして基礎学力を上げていくか、理科に興味関心が向かうようにするかがポイントであると考える。しかし教育学部は基本的には文系の学部で、小中学校では理科を専門にやっていた先生が少ないと考える。それでは小中学校の内に理科に重点を置いて学習していくことは難しいのではないかと考える。子供たちだけでなくこれからを担っていく世代も理科的関心を高めていく必要があると感じる。

返信2021年9月28日 5:32 PM

匿名24/

モリ  私は、現在の日本では、理科好きな子どもが生まれるのは難しいと考える。理由は二つ挙げられる。  まず、「両親の過保護」が挙げられる。今の両親は、子どもを大事に扱いすぎているため、彼らの様々な物事を経験する場を奪っている。理科教育の視点からは、火や試薬等を使って実験をするのは危険が伴い、よろしくないとされ、子どもの実験や体験をする場が減少している。挙句の果てには、水までも子どもに使わせるのはよろしくないとされているそうだ。そのため、子どもは実験という理科の一つの楽しみがなくなり、自然と理科への興味関心を失っていく。  次に、「文系の方が暗記主義で簡単」ということが挙げられる。例えば、私が高校生の頃、文理選択でどちらにするか迷っていたときに友達や先輩から「文系の方が簡単だよ。」と言われ、文系を選択した。  よって、私は「両親の過保護」、「文系の方が暗記主義で簡単」であるため、現在の日本で理科好きな子どもが生まれるのは難しいと考える。

返信2021年9月28日 5:29 PM

匿名24/

榊  2000年以前と以降を比べたときの違いは全世界での技術革新にあり、その技術が各国の間での争いが少なくなることで共有や類似させていくことができるところにあるのではないか。技術をまねすることや買い取ることが普通であるようになってから自国で技術を開発する必要はなくなった。技術だけでなく食料も同じことがいえる。他国に頼り切っている、自立していないといえばそうだが効率的という見方もある。しかしその効率的な状態をものにできていないのは政府の日本の動かし方に問題がある。日本政府の平均年齢は約54歳である。平均寿命を考えると年齢が高いとはあまり思わないが、考え方や技術の進歩の速さに私たちの国の政治家がついていけていない。日本よりも進んでいる国の政治家の平均年齢は低いうえに若い人が上に立つということがある。現代で柔軟にものを見聞きできる人を支持すべきではないのか。

返信2021年9月28日 5:16 PM

匿名24/

E-hei 私は、この問題について、理科を学ぶことや勉強することとは、一体どんなことを指すのか、という根本的な認知の差から生まれていると考える。その根拠は、私が今日まで受けてきた理科教育にある。本来、理科とは、身の回りの様々な現象や問題などに対して疑問を持ち、そのロジックや仕組みを理解し、様々な物事に発展、応用してきた背景や方法を学ぶものであると考えられる。もしこのような、前提条件の下で、正しく理科教育が施されたならば、理科教育は、私達が経験した、暗記や知識の定着を目標とした、無意味な教育にはならなかったと考えられる。しかし、実際には多くの理科教育に携わっている教育者が、自身が受けてきた理科教育を正しいものであると迷信し、不必要な理科教育の再生産をし続けている。その結果が今の日本のGDPの下降に大きく関与していると私は考える。

返信2021年9月28日 5:16 PM

匿名24/

ともや 理科の実験や観察が、危険だという理由で制限されていくと、子どもたちは理科に興味を持たなくなるだろう。科学技術や生産力を上げるためには優秀な科学者が必要ではあるが、ただでさえ少子高齢化によって少なくなっている子どもたちが理科に興味を示さなくなると将来科学者として国を発展させていく人材が育ちにくくなり科学技術は衰退していき、外国と差を付けられていく。また、国民全員が理科の基本的な知識や技術をきちんと身につけておけば、日常の中から革新的なアイデアを生み出す可能性も高くなり、このようなアイデアが日本の技術を進歩させることもある。外国の科学技術が発展して、日本の技術が衰退していくと日本の地位低下にもつながる。日本の技術をさらにあげるためにも理科教育にはもっと力を入れるべきだ。

返信2021年9月28日 5:11 PM

西24/

あかぽこ  大人が子どもの理科についての興味・関心、そしてその環境を奪っているからではないか。例1にあるように、理科は時間や予算、指導スキルが求められる。私が高校生の時、物理が専門である担任に、私は理科教育に興味があると言うと、理科は実験や準備が大変だから違う教科を頑張ったらどうかと言われたことがある。物理の先生だからこそ、その苦労を理解した上での発言であっただろうが、これでは生徒の様々な可能性を大人が閉ざしていることになると考える。また、大人が生物や植物に対して過度に嫌がったり批難したりすることによって、子どもは自然と触れ合うことはいけないものだと思い込んだり、自然と触れ合える環境を避けるようになったりしているのではないか。理科に関心がなくなった現代は、児童・学生時代に、大人の発言によってそれらの様々な環境を奪われた結果であると考える。  

返信2021年9月28日 5:04 PM

匿名24/

haruna  現在、日本ではあまり理科教育の重要性が理解されず、理科教育に対して疎かになってきていると感じる面が多々ある。例えば、理科を教えるのに、実験方法などがしっかりと理解できていないまま教師になるなどの、教師までもが理科が苦手、理科教育を国語など他の教科に比べたら重要ではないと考えている人も少なくはない。しかし、実際に理科教育の重要性に気づけずに疎かにしたことで現在の経済などに大きな影響を与えてきている。国や教師などすべての人が理科について興味関心を持ち、自分たちのことばかりではなく、理科教育から何かしらの技術発展をしていけるような人材を一人でも多く出せるようにするために、もっと理科に対する予算やスキルなどを高めていく必要があるのではないか。

返信2021年9月28日 5:01 PM

24/

市 生産年齢人口減少による税収の低下により、理科教育を含む学校教育に十分な予算が回らず教育が衰退したため日本の経済力は衰退したのではないかと私は考える。理科といえば他の教科にはない実際に手で触れる、様子を観察する、実験するなどの活動があり、そこで考察力や洞察力、思考力を育くめる教科であるが、十分な予算がないためそれらの活動が簡略化、または省略されてしまい、日本特有の暗記授業の形式になってしまう。これにより理科教育で育まれるはずだった力が育まれず、能力が未熟なまま大人へと成長することによって経済において他の国家に差をつけられるようになってしまう。つまり。生産年齢人口減少による理科教育の衰退により、能力の低い人間が日本にあふれかえってしまうのである。

返信2021年9月28日 4:59 PM

匿名24/

yona 学校教育の中で、理科教育というところまで手が回らなくなっているのではないだろうか。理科というものは実験を行ったりすることでより深い学びへとつながる。しかしながら、実験の授業を行うにはほかの教科と比べ、多くの費用がかかる。その費用がないことから実験を行うことが少ない学校もあるだろう。実際に、私自身も化学の授業などで実験を行ったことはほとんどなく、椅子に座って行う授業のほうが多かった。少子高齢化社会になり、社会の構造が変化したり、就労人口が大幅減少することにより税収の低下が進んだりして、教育への予算というものが減ってきているのではないだろうか。そのため、理科という教科に対して苦手意識を持つ人が多く、難しい教科なのに楽しくもなければ学ぶ意欲というものが持てないことへとつながっている。このような教育環境では理科教育は廃れ、結果として日本全体の様々な産業も廃れていき、GDPも急激に減速していったのではないだろうか。

返信2021年9月28日 4:55 PM

匿名24/

ヤマト 急速な成長を経て先進国となった日本だが、それにより、先進国としての日本の歴史は浅いものの、その成長ぶりはすさまじく、後進国、発展途上国を軒並み抜き去ってしまうほどの勢いが当時の日本にはあった。しかし、近年の日本は辿ってきた道が、そして経験があるがゆえに、新たな行動に出ようと試みる者がいても、「前例がない」「失敗したらだれが責任を取るのか」という保守的な性格をいかんなく発揮してしまう。結果として、日本がそれより高みへ前進することはなく、停滞の一途をたどっている。しかし、後進国、発展途上国は違う。先進国として歩んできたことがなかったがゆえに、新しい試みを即座に取り入れ、進歩している。現在の位置を崩さないように、ではなく現在から脱却しさらなる高みを目指す向上心、フロンティアスピリッツがあるからだ。現状は日本人の持つ生来の気性かもしれないが、争いごとを好まず、すぐに守りに入ってしまう。これは技術云々ではなく様々なことに言えてしまうのではないだろうか。理科教育においても、たった一つの問題が起こっただけで、何百何千と行われていた取り組みを取り下げてしまう、という話をよく耳にする。事故防止、再発防止、安全第一を掲げるのは結構だが、その取り決めには学ぶ側の意志が全く反映されていない、ということが問題である。あれも禁止これも禁止、では、まさしく「何も為すことができない」のだ。「未然に防ぐ」より、「起きてしまった問題をどう解決すればよいのか」、を学ぶことの方が役立つ知識であるし、考える力を育てる良い教育にもなる。目の前の子どもにどういった人間に成長してほしいのかを今一度考え、教育形態もそれに合わせてリファインするべきなのではないか、と感じる。

返信2021年9月28日 4:51 PM

匿名24/

川卓 日本の経済力の低下について原因があるとすれば、それは日本人の競争力の意識の低下が問題であるとわたしはおもう。⑥の国際情勢という点で、日本人は世界と比べて先進国であり、豊かな国で豊かな暮らしをしている人が多いと思う。なので、お金がなく困った、と感じたことがない人が多いはずで、お金を稼ぐという意欲が発展途上国の人々と比べ我々は少ないのだと思う。そしてそれは、学校での勉学に対する接し方にもつながってくるはずである。理科を勉強することになんの意味があるのだろうか、と考えることはあっても、それを解決させるかといえばしない。もしそれが将来役に立つ、また、就職に有利になり、将来は安定すると言った考えに結びつかないからだ。なので、関心や意欲がなくなり、勉強する意味はないと考え、勉強をおろそかにし、結果的に理科教育が衰退していくのだと思う。

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