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則ち燧(ひうち)を以て火を出し   日本書紀

日本武尊、其の言を信けたまひて、野の中に入りて覓獣したまふ。賊、王を殺さむといふ情有りてその其の野に放火焼。王欺かれぬと知しめして、則ち燧を以て火を出して、向焼けて免るることを得たまふ。王の曰はく、「殆に欺かれぬ」とのたまふ。則ち悉くに其の賊衆を焚くきて滅ぼしつ。故、其の処を号(なづ)けて焼津といふ。

『大 意』ヤマトタケルが、そのことを信じて野に入って猟をしていたところ、賊たちは王(ヤマトタケル)を焼き殺そうと野に火を放った。王は欺かれたことに気づき、燧(ひうち)石をもって向かえ火を起こしてなんとかそこを逃れることができた。王は「すっかり騙されてしまったなー」と言って、たちまち賊衆を焼き滅ばした。それがもとで、その場所は焼津(やいづ:現静岡県)と呼ばれるようになった。(訳:山田暢司)

火に火をもって挑んだ武勇伝
 話に登場するヤマトタケル(日本武尊:古事記では倭威命)は、第十二代景行天皇の皇子であり、神話に疎い戦後世代にさえその名を知られる古代のヒーローです。父である景行天皇は、諸国を次々平定していくヤマトタケルの武勇を恐れ、熊襲(クマソ)を討ち倭国へ凱旋を果たしたばかりの彼に、すぐさま東夷征討を命じます。駿河の地で賊の罠にかかり野火に囲まれますが、持っていた火打ち石で迎え火を作り、伊勢神宮で倭姨命から授かった剣で傍らの草を薙ぎ払い、危うく難を逃れるのです。草薙の剣の由来となる話でも有名ですが、火には火をもって挑んだ武勇伝が日本書紀に記されたものです。

要は硬い石
通常「火打ち」という場合、硬い石を火打ち金(焼きを入れた鉄)にこするように当て、鉄粉が摩擦熱によって発火することを指します。もちろん、石同士でも火花を作り出すことは可能ですが、鋼の鉄粉の発火には遠く及びません。石として使われた岩石の方ですが、これはプランクトンの一種である放散虫が堆積してできた「チャート」といわれるもので、酸化ケイ素を主成分とした非常に硬く粘りけのある岩石です。ケイ酸質を持つ生物の遺骸が海底に堆積し、長い年月を経て固結したものであり、成分組成や生成過程によりいく種かの特徴が見られます。やや赤みを帯びているものは、成分に三価の鉄分(Fe3+:赤鉄鉱)を含み、黒いものは二価の鉄イオン(Fe2+:黄鉄鉱)を含んでいますが、赤鉄鉱は酸素が十分な酸化状態、黄鉄鉱は還元状態で生成したというように考えることが可能です。
火打に使われていた岩石はチャートだけではなく、石英も広く長い間使われていたようです。石英(SiO2)は、適当な固さの岩石(モース硬度7)で、いわゆるフリントストーンと呼ばれるものです。これらケイ酸質の岩石(石英片岩とも)は、いずれも結合形態の緻密で、とても硬い構造を持っています。摩擦熱によって火花を飛ばすには強い衝撃に耐えうるものでなければなりませんから、その点都合がよいのです。要は硬い石が火打ち石に向いていたというわけです。

なお、生じる火花は、石の衝突時のエネルギーが付近の空気中の窒素をいったん励起し、安定状態に戻る際に放出されるエネルギーが光となって観察されると説明されることが多いです。ただし、いわゆる静電気のバチバチ(青白い光)と火花自体が別の物質(鉄粉など)を燃焼させたり、次に述べるように石を擦った際に石自体が発光する現象などを同時に観察しているので、話はとても複雑です。

石を強く擦りつけた際に起こる発光現象については、イオン結合によって強固に結びついている岩石内の物質間で、一時的に電荷の偏りが起こり、表面付近でプラズマが発生するからではないでしょうか?特に、石英質の鉱物では、半透明なものが多く、光が透過~反射して、石の内部で光っているように見えるのかもしれません。

「動 画」光る石:石英片岩か?

人類進化の画期
原始人が火を人工的に起こして調理や野焼きを行ったのは、数十万年前のペキン原人に始まると考えられています。人類が火をコントロールし始めたことは画期的なことであり、歴史学者のA.トフラーはこの画期を「第一の波」と表現しました。初期段階の火起こしは付け木を摩擦により擦って熱を出す方法が取られていたようです。大きな用具も必要でずいぶんと根気のいる作業ですが、この段階が長くつづき、次第に石と石をぶつけ合って手軽に火を起こす手法に変わっていったものと考えられます。さらに、ぶつけ合う石を工夫するうち、石英(フリント=微晶質)や黄鉄鉱との組合せに気づき、青銅器を経て鉄器文明の鋼使用に至ったのかも知れません。日本の歴史における火起こしの歴史は、冒頭の『日本書紀』におけるヤマトタケルの神話が初めてになります。その後、火打道具は火を作り出す貴重な神宝として大切にされましたが、江戸時代になると一般庶民にも普及するようになります。特に、上州吉井宿の刀鍛冶孫三郎の女房が作り始めた火打鎌は、トップブランドとして江戸で評判となりました。世界的には、中国におけるマッチの発明が画期となり、現在の使い捨てライターの普及につながるわけです。また、火打ち石は火起こし道具としての他、厄除け悪霊払いの「切り火」に使うこともありました。時代劇などで、主人の出がけに女将さんがカチカチと石を打つ場面を観ることがありますね。この縁起担ぎは、大工のように危険な業務に携わる世界を始め、花柳界や落語、芸人などの伝統を重んずる職業の世界では今でも行われているようです。

火打グッズ
火打ち石といっても石だけで火を起こすのは難儀で、火打ち金という焼き入れした鋼を使います。火打ち金を使うと叩きつけられた衝撃で鉄が削りとられ、この鉄分が摩擦熱により火花になって飛んでいくというものです。さらに、火を付け木に確実に焚きつけるには、火口(ほくち)という着火用の道具を使うと便利です。火口は綿や茅花(つばな)などの細かい繊維を炭化させ、さらに煙硝で仕上げたものです。日本書紀か記述された時代にはすでに鉄を焼き入れる技術は知られていましたから、ヤマトタケルは火起こし専用の鉄鋼をもって火打ちの迎え火をつくったことになります。

「動 画」火打ち石セットで火おこし:学生実践編;火花を火口(ほくち)に付けて、つけ木に誘導、最後はろうそくまで。

「動 画」古い映像です


◇このブログで発信する情報は、取扱いに注意を要する内容を含んでおり、実験材料・操作、解説の一部を非公開にしてあります。操作に一定のスキル・環境を要しますので、記事や映像を見ただけで実験を行うことは絶対にしないで下さい。詳細は、次の3書(管理者の単著作物)でも扱っているものがありますので参考になさってください。


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